Philosopher
2025.Jul.22
Day 117: Meditations/ Self-reflection
Yuriです



7月はBerlinから始まったかと思えば



帰国し実家がある三重へ





プライベートクラスをして





家族と過ごして



一瞬大阪





そして京都へ


で、今はSydneyに帰ってきています



1ヶ月で5カ所
取り憑かれたかのように動き続けていますが
ご安心ください、本人は全て意図して行っています


私なりの人生をより善く生きる戦略の一つ


“環境を変えること”が
1番手っ取り早く心の癖を変える方法だと思っていて
15年前にYoga Sutraで先月のJivamukti Yogaの
テーマでもあった2章33番の言葉に出会ってからは


意識的に実践するようにしています
スートラの言う通りに生きれば
道を外すことはない
そんなに強くも頑丈でもなく
一つの場所で自分の心や身体を
整えられるほど熟してもいない

自分で自分の脆さや
どんな時に傷つきやすいかは
自分でよくわかっているつもりです



久々に会ったDoug兄と犬のSenseiと打ち合わせ
この半年間は大役を務めさせていただいた分
沢山の感謝と失敗を同じくらい経験したことは
過去のJournalに記載済み

“傷つかずに大きくなる人はいない”
という言葉をヨーロッパ滞在時の
どこかの本屋さんで読んでからというもの
“自”分のための内”省”する時間と
それを記”録”する時間が足りなかったなと
ふいに考え込んでいたら

マルクス・アウレリウスの”自省録”に
まさに三重の図書館で再会しました
(感動してまとめた言葉はBandに記載しています
興味のある方は申請してください)
省みた過程の中で今の私に足りないものを
ひと通りリストアップして

それに必要な書物や必要な時間を買って
Sydneyに来ました
もっと大きくなることを願って

ParisとSydneyは
同じくらい気に入っていて
縁のある街だけど


ParisよりもSydneyの良いところは
コーヒーを注文したら
ちゃんとExtra Hot (熱め)が出てくること


私は年中ホットを注文する時は必ず
熱めにするのですが

Parisのバリスタたちはなかなか
Extra Hotにしてくれない
コーヒーはそこそこ温め?で飲むのが基本らしい
猫舌なのか?

Parisのお気に入りコーヒースタンド
Bonjour Jacobのお姉さんは
“Extra Hotで注文してくるのは
Australian(オーストラリア人)くらいよ”
と言ってたっけ

まぁあながち間違いでもないな
これだけSydneyに入ればw


私が出会ったあの本から
私個人に向けられた課題やテーマは
何だったかといえば
“傷ついた後に、その関係を作った他者と
どのように歩むかを見通して行動する”
方法は何か、です
本当の愛と、本当の思いやりでしか
知ることができない
アヒムサ(非暴力)な方法、です

持ってきて良かった
Bimba y Lolaのデニムジャケットと
ファミマのデニム
最近はこのJournalで
読者の皆さんにそっと質問したりしているのですが
(そしてこっそりいつも解答をくれる皆さん、ありがとう)

傷つけられたor 傷ついたと認識した他者との間に
妬心なくヨーガの教えが求める生き方を
実践するとしたら何が必要だと思いますか?
我慢?忍耐?許し?思いやり?愛?
これも色んな回答がきっとあるはずです

私は
先の明るい関係を信じること
いっときの感情や出来事に落ち込まないこと
衝動的に相手のせいにしないこと
他者を責めないこと
を今までの自分の失敗から学んで
まず、実践するように心がけています

人生の傍観者(Saksi/ サクシ)でいること
今まで生きてきた中で
あの時は手に入らなかったけど
焦らず諦めずに続けていたことが
ふとした瞬間に長い年月を経て
舞い戻ってきたり
私が決めつけなかったおかげで進展した
深い人間関係がいくつかありました

ジヴァムクティヨガ指導者としての道もその一つだし
続けたい、繋ぎとめておきたい人間関係の背後には
いつも真剣な他者への理解と許しがあった
最初は相手が乗り気でなかったり
準備ができていなかったりしていても
私の方から歩みよる準備をしていれば
いつかきっと応えてくれる
そんな経験を沢山しました
“粘り勝ち”とも言えるかな
そんなに簡単に諦められるものでもないのよ、と
自分のブレなさに呆れながらも
貫いてきたものに
こうして今も、助けられていたりします

諦められたら、それで終わりなのを
私が諦めない限りは、きっと続く、と

先を見通して大きな存在を
信じていたからこそ
今の関係がある人の方が
関係が良い時も悪い時も両方知っているから
ずっと残ったりする
しかも色濃く、頑丈に、永く


とってもデリケートな作業だったし
今も続いているものもあるけど
その一つ一つの認識やアクションが
私をより強く、優しくさせてくれてもいるし
何より重要な記憶として残っている

京都でジヴァムクティヨガを教える前くらいからの
仲であるマイブラザーYoshi氏が
“人は、苦しかった時のことしか記憶に残らない”
“簡単に済んでしまったことは、
どれだけ楽しかったとしても忘れてしまう”
とこの間のクラス前にアツく語っていたことを思い出した


そう、苦労してここまで来たからこそ美しい

実家の畑で母が野菜作りに勤しんでいる傍らで

簡単にできるきゅうりや茄子よりも

ちょっと繊細でタイミングが重要な
トマトやカボチャのが大変なのよと
言いながらも大事に育てているところを見ると
多少手を焼いた人やもののことの方が
人は愛しく感じるのかもしれないと
手をかけるべくところに手を抜いていたら
きっと今の私はいない

皆さんは必死になって何かに取り組んできたことはありますか?
必死に誰かと、向き合ったことはあるかな?

世間では “Let Go = 手放す”ことを促す
ヨガ指導が定着していますが

私はLet Goの正しい意味は
“そうさせておく” だと思っています

手放すということは
もうしばらく見ない
何ならもう二度と見ない可能性を作る
そのままにさせておく
相手がやりたいようにやらせておく
それを否定しない
だからLet Goした後もそのものとの
関係は続く可能性もある
でもそれでいい
そんなマーブル模様な関係を
受け入れることだと思っています

私の公式ウェブサイトが
マーブルのように色が重なり合っては消えていく
流動的な仕掛けにしてあるのは

私のこのJournalと
Yuri OGAwaコミュニティで使っている
Bandに書き続けているのは
全て私の頭の中を禄するためです
私が普段考えていることを文字に残し
表現する場所

またYuriが実は何を考えているのか気になったら
このJournalに遊びにきてください
では、またすぐに
Yuri