Philosopher
2021.Mar.29
“Consciousness”
昨日久々にしっかり声を出して泣いた。
ちょっと自分でもびっくりするくらいに。
内容はさておき、私は定期的にわんわん泣くことは必要だと思っている。
ただ最近は自分のために泣くこと、少し少なかったかなと振り返る。
意識していても、実はできていないこと、見逃していることって本当に多い。
ヨガインストラクターをしていると
「〜に意識を向けて」とか
「意識を内側に向けて」とか
「意識」という言葉を多用しがちなのだけど、
本当に、真に、私自身がいま「意識」しているんだろうか?
乱用していない?
言葉は表面に出ると、受け取る側によって様々な意味になる。
真実の無い言葉は分かる人には分かる。
先日「意識」の「意」という文字をマジマジと見つめていたら、
ある大発見をしてしまった。
「意」って、「音」と「心」だ。
「音」を聴いて「心」を読み取る。
「音」に「心」の動きが宿る。
「音」を支配できたら「心」も支配できる。
「音」がないと、「心」もない。
ゆえ「音」があるから、「心」もわかる。
だから、「音」を立てて泣いてみた。
だから声を上げてみた。
そしたらやっぱり「心」が見えた。
文字は嘘をつかない。
カラス達に食い散らかされたゴミ袋が乱雑してるのに
すぐ傍にある高瀬川では桜がたおやかに美しい。
ギャップのある混沌な世界を、今日も生きる。
Yuri